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2011年9月19日 (月)

嫌な相手は、私と同じ

 人間関係が思うようにならなくて嫌な気分になることは山ほどあります。たったひと言によってやる気がそがれたり、腹が立って仕事すら手につかなくなったりすることがあります。そんな嫌な人間関係が継続すると、精神的にさらには身体的にも悪い影響が出てくるようになってきます。最後は社会的に生活ができなくなってしまうことさえもあるようです。
 できることなら人間関係によるトラブルは極力回避したいと誰もが思うでしょう。そのためのノウハウを紹介する書籍はあふれるほどありますし、研修・ワークショップも各地で開催されています。しかし相手があり、その相手も十人十色、百人百様ですから、なかなか思うような人間関係が築けるわけではありません。
 どんな価値観や行動規範を持っている人であっても、それらにとらわれることなく人として尊重しなければならないということは頭でわかっています。わかっていても、実際に異なる価値観や行動規範の人と出遇い、気分的に相容れることが難しいと感じ始めると、尊重し合うという精神状態でいるのは難しくなってきます。価値観や行動規範の問題ではなく、人を嫌い、人を憎むようになってしまいます。もちろん人間関係はギクシャクするのです。

 このようなギクシャクした人間関係はすべて「私」の思い端を発しており、人間関係を結ぶ「相手」の立場にたったものではありません。私が相手に対して持っている思いは、何らかの形で相手に伝わっているでしょうから、相手もよい感じをするはずはありません。
 そこでお互いに理解を深めることが大切になってきます。ところがギクシャクしたなかで、お互いの理解を深めようというのはこれまたひと苦労です。それまでに抱いた余計な思いが邪魔をして、なかなか素直な気持ちで相手と対することができません。

 どこにも確かなものがないのに、善くも悪くもどんどん自分の思いだけで、相手の姿がつくられてゆくのです。となると、人間関係の気まずさ、ギクシャクした関係は、すべて私がいつの間にかつくってしまった虚像かもしれません。また人に対するプラスの感情やよりよき関係も私がつくった架空の相手かもしれません。
 このようにして、勝手な自分の思いに思いを積み重ね、また自分の思いに惑わされて他人を見ているのではないでしょうか。

 人間のありのままの姿は、仏法で示された凡夫の姿であると、最近つくづく感じます。まことの眼によって私を見通された姿です。あまりにもズバリと言い当てられていますので、たじろいでしまって、まともに向き合うことが怖いほどです。しかしそれは、思いどおりにならなくて、嫌な気分を抱いてしまう目の前の「相手」でもあるのです。どちらも同じものを持ち合わせているのではないでしょうか。

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コメント

> 西岡長男さん
 いつも自分が中心です。目も、耳も、口も、・・・。自分が
中心ですから、自分の目も、耳も、口も、・・・も、自分では
見ることができません。
 鏡でしか見ることができません。でもいつも鏡をもって
いるわけではありませんから、ふだんはめったに自分を見る
ことができない。

 ましてや、ほんとうの私の心は、教えを聞くことによって
しか知ることができない。教えをいつも意識しつつ生きている
わけではありませんから、自分の心もなかなかみえない。

 いつも自分の外に向かって、文句を言い続けているんじゃ
ないでしょうかねぇ。

投稿: gsaiko | 2011年9月21日 (水) 19時53分

おひさしぶりです。いつもブログを拝見させていただいて、先生のおかげで法に遇わせていただいていることに感謝しています。ありがとうございます。

ギクシャクした人間関係はすべて「私」の思い端を発してお”るものなのに、それが厳然とした事実なのに、まったく受け入れない自分の心が頑としてあるなと思いました。

投稿: 西岡 長男 | 2011年9月21日 (水) 10時02分

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