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2011年9月26日 (月)

執着する金も時間も労力も、笑い話のネタ

 いまから30年ほど前のことです。ある高台に大規模な住宅地が開発され、建売り住宅が販売されました。高台にありますから景色もよく、夏はさわやかな風が吹くとても心地よいところです。街のなかは暑くても、その高台の住宅地の快適さに多くの人が気にいって購入されました。
 そうして気に入って求めた家も、10年も経たないうちにそこを売って、違うところに新たに宅地を求める人が続出していると聞きました。その地域の大きな問題が噴出したわけでもありませんし、そこに越してきたからといって急に高額所得者になったわけではありません。夏の心地よい風も、木枯らしの吹く季節になるとその寒さに耐えられなかったというのです。

 もうひとつ。ある廟所では、これから墓地を持ちたいと思う人が訪れます。それぞれの人たちの話しを聞くと、桜が咲く季節には桜の木の下がよいと希望されて墓地を求められます。夏の暑い季節には大木の下の陰が大きいところに墓地を求められます。また冬の季節には陽当たりがよく風の少ないところに墓地を求められます。
 しかし季節が変わると花が散り、太陽をさえぎってくれた大量の葉っぱが落ちるのです。冬に風のない陽だまりは真夏になると炎天下です。日本人なら、日本に四季があることをだれもが知っているでしょう。季節の移り変わりを知っているのに、そのことをすっかり忘れてしまっているのでしょう。ですから、各家の墓地の清掃に来られたとき、木の枝を切ってほしいという要望が多く出てきますし、お盆には墓前での読経を短くしてほしいと言われるのです。

 この二つの話を笑う人がいるかもしれません。日常生活に使う食料品や日用品を買うなら失敗も許されるかもしれませんが、住宅にしても墓地にしても、いろんな面からしっかり確認・検討し、家族とともに真剣に考えて決めることでしょう。また、一生に一度か二度という大きな買い物でしょうから、慎重にも慎重を期して購入を検討するのではないでしょうか。それにもかかわらず、半年や3ヵ月先の季節の変化を読めないがゆえに、後で後悔したり、ブツブツと文句をいう対象になってしまうのです。
 何度同じことを経験しても、その時の自分の思いに縛られ、先の見えないまま、お互いに慰め合ったり、助け合ったり、争い合ったり、文句を言い合って過ごしていくのがこの世の生活です。執着するお金も、時間も、自分の労力も、みんな笑い話のネタでしかありません。

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