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2011年9月22日 (木)

凡夫がつくる「想定外」という限界点

 東日本大震災により、人間の力などとても及びもつかない自然の破壊力にただぼう然とするしかありませんでした。地震と津波によって、人間が営々と築いてきた歴史も街並みも暮らしも、そして多くのいのちも根こそぎ奪い去ったという気がしてなりません。
 こわさを感じる地震はこれまでに何度か経験しましたが、山村育ちの私にとっては、津波の恐さを知りません。津波というのは、潮位がせいぜい数十センチ高くなる程度という認識しかありませんでした。せいぜい思うことは、海も好きだけど、あんなに怖い津波がくる海岸沿いは住みたくない。少々不便でも、山村が静かで穏やかで暮らしやすいし、安心できる・・・などと思ったものでした。
 その矢先に、先の台風12号による紀伊半島の新宮市や五條市や十津川村の災害です。東日本大震災が地震がきっかけとなって津波が起こり、紀伊半島の災害は台風がきっかけとなって起こったものです。

 山村に限らず、日本はどこでも土砂崩れが起こって不思議ではありません。しかし今回の災害は、山が頂上部分から刃物でごっそり切り取ったように崩壊しています。
 山に降った雨は、山の木によって保水されます。それゆえ下流には一挙に水が流れ込むことはない・・・という話はジワジワと雨が降ることを前提としています。この台風12号によって降った雨が山の木の保水能力を上回っていたということでしょう。
 山の崩れ方、崩れた山によって瞬時に生まれた土砂ダム、山村における水害、などなど想定外の事態が起こったのです。

 人間は、人類が経験してきたことを積み上げてひとつの限界点を設定しています。その限界点を超えてしまうと、「想定外の事態」というのでしょう。想定外というのは起こらないことではありません。人類が経験していないことが起こりうるのです。人類が経験していたとしても記録に残っていなかったり、忘れてしまっていてうっかり油断していても、想定外の事態にいたるのです。
 東日本大震災は1000年に1回の地震だといわれていますし、紀伊半島のような大規模な山の崩壊もいつも経験するようなことではありません。だから油断するのでしょう。

 私たちは外にばかり目を向け、東北や紀伊半島でのできごとだと思っていないでしょうか。大自然の大規模災害はとても怖いことですが、私に影響がおよばなければ、ハリウッドでつくられたフィクション映画を見ているのと、感覚的にはかわらないのかもしれません。フィクション映画のようにみていることが、あすの私の目の前に明日かもしれません。足下から崩れ落ちることなどないという想定は、何の根拠もないのです。
 それよりも何よりも、死ぬことはない、老いることはない、・・・などと高を括っているのではないでしょうか。そう思うから、明日の予定も来月の予定も、そして来年の予定も10年先の予定も立てられるのです。
 「凡夫の想定外が起こるぞ」「明日の話ではない、先のできごとではないぞ」と仏法は示してくださっています。

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