落とせない「不徳の垢」
2011(平成23)年というのは、強烈な記憶として刻まれる年だったのではないでしょうか。そして今日は、今年最後の日です。今年の一年を振り返ってみて、個人的にはどんな年だったでしょうか。
12月31日もいよいよ押し詰まってくると除夜の鐘が突かれます。108つの人間の煩悩の数だけ突くともいわれています。そしてその108の煩悩を滅するともいわれています。いやいや、108どころでは済まないのが私の煩悩です。一瞬、一瞬思い、振る舞うことが煩悩なのですから。
それではいくつの煩悩があるのか?一年365日、一日24時間、さらに時間を構成する1分、1秒に至るまで煩悩だらけです。単純に1分に一つずつ煩悩を起こすと仮定すると、365日×24時間×60分=525,600となります。
次々といろんな煩悩が、形を変え姿を変えて現れます。私が生きている限り、どれもこれも煩悩です。寝ていても起きていても途切れることなく煩悩によっていのちをつないでいるのです。ですから、見方によれば、途切れることのない一つの煩悩の海でおぼれ続けているともいえるのではないでしょうか。
それもこれもすべて私です。もう少し具体的に見てみましょう。普段の生活のなかでは、人との関係のなかで気持ちが揺れ動き、振る舞いを起こします。ちょっと気取ったり、格好をつけたり、弱みを見せたくなかったり、自分の非を隠そう・・・とします。でも、そんな自分はありのままの私ではないと、この身のどこかで感じています。しかしその場の雰囲気や人間関係や、つまらぬ自尊心によって、ありのままの私を覆い隠そうとしていることも知っています。でも、そんなありのままではないと思っている私が、そのままありのままの私でもあることには、案外気づいていないようです。
それは私の心のなかのことだから、誰も知るはずはないと思っているのではないでしょうか。ところがそういう私であることは多くの人に見抜かれているようです。見抜かれていることに私は気づいていません。自分の心が言葉となって、しぐさとなって、対する人との間の空気と現れているのです。
それは何年も生きている間に、一度も落とすことなく積み重ねてきた「不徳の垢」といえるのではないでしょうか。いまさら隠そうとしてもそれは無理な話です。しっかりと見抜かれているのです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)

最近のコメント