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2012年3月29日 (木)

もうしばらく、休ませていただきます

このブログの読者のみなさんへ

 現在勤務しております東京・築地本願寺を今月いっぱいで退職し、
奈良県宇陀市の自坊へ帰ります。

 東京で見たこと、聞いたこと、学んだことはとてもたくさんあります。
文章としてはなかなかうまく表現できませんでしたが、体面関係の中で
ちょっと刺激を与えられれば、次から次へと話すだろうと思います。
”オフレコ”も含めて。

 もうしばらくこの「畢竟依を帰命せよ」をお休みします。書きたいこと、
書こうと思うことはあるのですが、断片的で、うまくまとまりません。
気持ちがザワザワしているということもあると思います。

 しばらく休んでいる間に、かつての文章を読み返し、それぞれの思いを
聞かせていただければ幸いです。

            gsaiko@gmail.com  西光義秀


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2012年3月 2日 (金)

何度も、くり返し聞くのが仏法

 仏法を聞くということは、生活上で何か役に立つ話を聞くことでも、珍しい話題や感動する話しを聞くことでもありません。また、いままで聞いたことも無い話を聞くことでもありません。難しい話をくり返し聞いて、最初はわからなかったけれど少しずつ理解ができて、そのうちとてもよくわかるようになるということでもありません。
 仏法は、すでに何度も聞いた話のなかに、まことの教えを聞いてゆくのです。私たちが日常生活のなかで経験したり、感じたりしていることをきっかけにして、真実に気づかせてくれるのです。仏さまの話は、ほんとうのことであり、当たり前のことが示されているのですから、よくわかる簡単な話をくり返し聞くことがとても大切な気がします。できるなら、すでに聞いたよくしっている話が、「わがこと」として響いてくる話ではないでしょうか。

 たとえば、四苦(生・老・病・死)の話は、自分の人生のどの場面においても深く自分自身にあてはめて聞くことができる話でしょう。まったく他人事であったとしても、それは明日はわが身、次の瞬間に自身に降りかかってくることと聞くことができる話です。
 また、「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」は、若くて健康で、何の悩みもない者でも、毎日の生活を通して自身を知らしめる教えです。歳をとると感覚が鈍くなって喜怒哀楽の起伏が小さくなるとか、年齢とともにだんだん欲が無くなっていく、などという人がいます。若いときの感性豊かな生き方とは明らかに違っていることは事実でしょう。でも、若いときとは違った感覚や思いのところに「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」が響いてきます。

 人間である限り、性別や年齢がどうあろうと、生まれや育った環境が違っていても、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、欲しいものは欲しいのです。そして何よりも大切で愛しいこの身体や心を満たしても満たしきれないことに激しく悩み、苦しみ続けているのです。それを癒すものは忘却であったり、新たな執着先を求めることですから、何の解決も図られないまま人生が過ぎてゆきます。解決の図られない過去の思いは、わが身に薫習されてゆきます。つまり心の奥底に染みついてゆくのです。

 楽天的な人はそれを「よき思い出」と言い、悲観的な人は「悲しく苦しいの過去」などと言うのかもしれません。生きるということは、喜び叫び、嘆き悲しみ、悩み苦しむということでしょう。しかしそれは私一人の思いや行為に終わりません。そんな私をずーっと、じーっと見ておられる方がおられます。その方のこころが言葉となって私に説かれる話が仏法です。無始以来、ずーっと私に寄り添ってくださっていますから、私にとってはいちばん頼りになる話であり、教えです。
 ですから、すでに聞いたことがあっても、よく知っている話でも、何度も何度もくり返しくり返し聞くことが必要なのです。

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