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2012年10月29日 (月)

11月1日が発行日です。読んでみてください。

『われも六字のうちにこそ住め』
 ――信心をたまわりて生きる――
樹心社 四六版上製 236頁 2100円(税込)
2012(平成24)年11月1日発行

発行日以降、しばらく時間がかかるかもしれませんが、
Amazonや楽天ブックスなどオンライン書店での購入も
可能となるようです。

気になるところを、わからないところを、ひっかかるところ
を、繰り返し読んでみてください。また同じような文章が
繰り返しでてくることに気づかれると思います。しかし
そこのところがなかなか自分の腹底に落ちないところ
でもあるのではないでしょうか。

書いた本人がこういうことを書くと、ひんしゅくを買うかも
しれませんが、何度も読み返すことごとにいろんなこと
を感じることができる文章だと思います。

また感想なり、ご意見・ご批判なり、聞かせていただけ
れば幸いです。

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2012年10月12日 (金)

教えと向き合うことで、自己を知る

 自分自身が「罪悪深重」「煩悩具足」だと教えられても、なかなかその教えを素直に受け取ることはできません。私以外のすべての人にピタッと当てはまる言葉であっても、私には無関係であってほしい言葉です。それでも法話のなかでは何度も出てきますから何度も耳にします。そのたびにイヤぁ~な思いをしながら聞かなければなりません。しかし決して自分のことだと認めたくはありません。
 少し殊勝な気持になって、まったく見当違いの話ではないと思ったり、そうかもしれないと振り返ることもあります。だからといって「罪悪深重」「煩悩具足」の自分を認めたわけではありません。そう言うけど・・・、そういうところが無いとは言わないけれど・・・、悪いところばかり見ても仕方ない、人生明るく前向きに行かないと・・・、などとスルリと避けようとします。「罪悪深重」「煩悩具足」という私の姿は、作り話でも、嫌がらせでも、虚像でもありません。仏法という鏡に映った私の姿です。

 風呂に入って疲れを取ったあとの自分の姿や、きれいに化粧して着飾った自分を鏡に映してまじまじと見ることはあるでしょう。しかし髪の毛が逆立った寝ぼけ眼の自分や、お酒に酔って気分を悪くしている自分を、鏡を通してのあまり見たくはありません。これはほんとうの自分ではないと思うかもしれません。しかしまぎれもなく、それはありのままの私自身であるのです。その一方で、自画自賛ができ、かつ他人にもほめられた自分にはいつまでも酔っていたいものです。しかし酔いは醒めます。

 ほんとうの私の姿が「罪悪深重」「煩悩具足」であると、自分自身の力で気づくことはほとんど困難なことです。そんな自分と向き合うことができる人は、よほどの聖人君子でしょう。罪悪深重の人ができることではありません。ほんとうの私の姿を知るには、自分と向き合うのではなく、教えと向き合うことです。教えを聞くこと以外にはありません。
 教えを聞くことで知識を身につけるのではありません。私にはない視点から私に気づきを与えてくれるのです。私が聞くのですから、私の思いが混じり、受け入れられない言葉や視点をはじき飛ばすこともあるでしょう。しかしはじき飛ばすことができないものがあるのです。どうでもよいことが隙間を通り抜けてくるのではなく、否定しようのないほんとうの私が、教えとなって正面から迫ってくるのです。

 とても受け入れることなどできなかった言葉が単なる言葉ではないことに気づかされます。「罪悪深重」「煩悩具足」がそのまま私の姿であり、自分自身の生きざまそのものであったことを知らされるのです。それは私の思い込みではなく、まことによって知らされたほんとうの私の姿なのです。

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2012年10月 9日 (火)

阿弥陀さまによる診断と治療

 健康診断のあとの検査結果を知るのは、ちょっとドキドキします。自分自身の身体の状態を知るからでしょう。身体の具合があまりよくないという自覚症状があれば、それなりの覚悟はあるかもしれません。しかしたいていは、自分で自分の身体のどこかに具合の悪いところがあるか否かということはほとんどわかりませんから、とてもドキドキするのでしょう。
 でも、仏法によって示される私についての検査・診断の結果を示されても、そんなにドキドキすることはありません。それは仏法による検査結果を軽くみているからでしょう。ひとつに仏法をなめている。つまりあまり信用していないのです。ふたつめに私の診断結果に悪い結果など出ようはずはないと思っているからではないですか。

 仏法による検査・診断の結果は、「罪悪深重」「煩悩具足」という病名が付けられます。この病名は、かなり深刻な状態だということを示していますが、聞く側はそんなに重くは受け止めていません。もちろん、自分自身は病気を診断できるほどのものは何も持ち合わせていませんから、わかろうはずはありません。ところが、他人に対しては「あいつほど悪い奴はいない」「どれだけ罪滅ぼしをしてもできるものではない」とか、あるいは「どこまで欲深いんだろう」「いつも腹をたててばかりいる」などと診断しているのです。それでも、その診断が自分にあてはまるなどとは考えたことはありません。
 ところが、仏法による検査・診断結果は実に正確で緻密です。それは聴聞を重ねることで知ることができます。他人のこととばかり目につき、自分のこととは思っていなかったけれど、聞かされるほどにドキドキするようになってきます。だからといって、なにもかも放って入院治療しようとは思いません。心配ではあっても、不摂生な生活の方が楽しい。心配事を忘れるほど楽しく日々を過ごす方を優先させてしまうのです。ただ、いつまでも楽しさを継続することはできませんから、ときどきフッと心配になります。このまま放っておいてどうなるんだろう・・・と。楽しく過ごしているんだから、よけいなことを考えてもしかたが無いという思いも、もう一方の思いとして健在です。

 どれだけ正確な検査・診断結果を示してみても、またインフォームド・コンセントをしたところで、まじめに治療しようなどとは思ってはいないようです。それでも、なんとかこの重症の患者を助けたいというのが阿弥陀さまです。そして必ず治してみせるというのが阿弥陀さまです。

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2012年10月 8日 (月)

まずは人生のインフォームド・コンセントを受けましょう

 知人の某氏が身体の調子が悪いというので、早く病院へ行って検査・診断を受けるように勧めるのですが、まったく行こうとしません。毎年ある健康診断では、2~3の項目で「要検査」という結果が出ているというのです。しかし仕事は休めないし、それなりに節制もしているから、病院へ行くほどのこともないと言います。さらによく話を聞いてみると、どうやら悪い結果が出て、それを知るのがイヤなようです。
 わからないでもありません。確かに、自分にとって都合の悪いこと、イヤな話は聞きたくはありませんが、問題を保留あるいは先送りにしておいても何も解決しません。検査・診断の結果、大事に至るようなことではないかもしれません。それで安心できるでしょう。よくない結果が出たとしても、それなりの対処の仕方が示されるでしょう。
 かつては、検査や診断の結果が知らされず、何もかも医者に任せっきりにするのが当然でした。しかし現在では、インフォームド・コンセント、つまり検査・診断の結果が告げられ、治療が必要なら、治療が必要性、治療期間、治療による効果、治療にかかる費用、等々が説明されます。治療方法がいくつかあるときは、そのメリット・デメリットも説明され、患者が選択することも可能です。それらについて患者が納得した上で、治療が開始されます。風邪くらいならそうたいそうなこともないでしょうが、重症の場合は気が重くなるでしょう。

 お釈迦さまは、たとえどんな結果であろうとも、現実を直視することを私たちに教えてくださっています。一切の先入観を取り払って、ありのままを冷静に見極めます。そして問題(=苦)の原因が何かということを突き止め、それを根底から取り除く方法を示されたのです。
 お釈迦さまの診断によれば、私を苦しめているのは私の自己中心の心、つまり私自身の思いに執着する心(=我執)だと示しておられます。さらに、その自己中心的な心が起こるのは、ほんとうのことを知らないことに依っており、事実を間違って受け取っているからだというのです。
 これまで多くのことを学び、よりよき人間関係を築こうと努力もしてきた。駄々をこねる子どもではない分別のある大人だし、社会からも一人前だと認められ、自分自身もそれなりの自覚を持って生きているのに・・・。そういう思いや自覚こそが、悩み苦しみの種だと教えるのが仏教です。
 難しいことはわからんし、そうなのかも知れないけれど、とにかく今はこの世を懸命に生きるしかない。欲を起こさないように、腹を立てないように心がけて、人に迷惑をかけないようにして、子育てが終わるまでは、定年を迎えるまでは、いまやろうとしていることをやり終えるまでは、がんばるしかない。つまり、現時点においては、お釈迦さまの診断より、わが思いの方が優先しているのです。
 しかしまずは仏法の教えに真摯に向かい合って、検査・診断を受け、人生のインフォームド・コンセントを受けることが、何事にも優先して大事なことです。人間に生まれてきたのですから。

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