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2012年11月30日 (金)

出版に至るまで(1)

すでにご案内の通り、このたび東京の出版社・樹心社より『われも六字のうちにこそ住め』を出版することができました。しかしもともと、本を出すために書いた原稿ではありませんでした。この本の出版に至る経過を、ここに記しておきたいと思います。

 東京・築地本願寺では、毎週末(金曜~日曜)に常例布教があります。
 (会場はいずれも、築地本願寺聞法ホール)
<金曜日>
午前10時~11時30分/午後1時~2時30分/午後7時~8時
<土曜日>
午前10時30分~11時30分/午後1時~2時30分
<日曜日>
午前10時30分~11時30分/午後1時~2時30分迄

私が築地本願寺に勤めているとき、宿舎は築地本願寺の裏にありますので、よく聴聞にいかせてもらいました。すべて本願寺布教使の肩書きのある方の法話です。
 批評めいた言い方になりますが、講師によってその話しぶりや内容はさまざまです。念仏せずにはおれない話、世間話に終始する話、教室で教学の勉強をしているような話、講師の人生を映画を見るかのように示すなかでご法義への味わいを語る話、現代の社会問題との関わり方を示唆してくださる話、等々。
 たいへんありがたく、お育てをいただいた話については、終わってからも念仏させていただいたものです。一方、阿弥陀様のお慈悲も念仏もない話や世俗のことに終始する話を聞いて、これは常例布教での話ではないと思ったこともあります。世間話であったとしても、方便として仏法への入り口に立っていただくための話もあると思っています。しかし私にはそうは聞くことができませんでした。なによりも、すでに築地本願寺の常例法座に足を運んでおられる方々への話であることをお考えなのか・・・、と。
 築地本願寺の常例布教の案内には「常例布教(仏さまのお話)」と記されています。仏さまの話がどこにも感じることができないのなら、それは世間話、雑談の域を出るものではありません。
 それなら、その場でひとこと言うべきでしょう。しかし、一年間の常例布教の講師を全国から偏りなく選び、スケジュール調整している事務担当者のことを思うと、軽々しく言えません。同時に、“人に言うべき前に、自分自身はどう聞いてきたのかはっきりしているか・・・”と自らに等う声がありました。ひとこと言う前に、自分自身が仏法をどう聞き、どう味わっているのか・・・を、自分の言葉で表現しなければならないと思いました。

『われも六字のうちにこそ住め』 樹心社
235ページ(19.4 x 13.4 x 2.4 cm)
ISBN-13: 978-4434173141
http://www.amazon.co.jp/s/ref=ntt_athr_dp_sr_1?_encoding=UTF8&field-author=%E8%A5%BF%E5%85%89%20%E7%BE%A9%E7%A7%80&search-alias=books-jp

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2012年11月16日 (金)

相田みつを「そのうち」

 相田みつをさんの「そのうち」という詩を知りました。

「そのうち」

そのうち お金がたまったら
そのうち 家でも建てたら
そのうち 子供が手を放れたら
そのうち 仕事が落ちついたら
そのうち 時間のゆとりができたら

そのうち・・・‥
そのうち・・・‥
そのうち・・・‥と、
できない理由を
くりかしているうちに
結局は何もやらなかった
空しい人生の幕がおりて
頭の上に 淋しい墓標が立つ

そのうちそのうち
日が暮れる
いまきたこの道
かえれない

 ドキッとしました。そのうち、そのうち・・・・と先送りしてきました。いま、ここの、わたしを常に意識することの大切さを学び続けてきたと思ってきました。でも、いつもしたいことを優先し、しなければならないことに追いまくられてきました。
 でも、人間に生まれてするべきことは二の次、学ぶべきこと・聞くべきことは三の次。ましてや他人のために何かをするなんて、四の次、五の次、六の次・・・・。しなければならない、学ばなければ・聞かなければ、あるいは他人のためにも・・・・なんて考えないこともないけれど、みんなそのうち、そのうち、そのうち・・・・と先送り。
 相田みつをさんに「あんた、何しに生まれてきたの?」って問われているみたい。「いまきたこの道 かえれない」。厳しい言葉です。

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