« 僧侶・布教使がするべきことは(下) | トップページ | 智眼くらしとかなしむな »

2013年7月14日 (日)

取り返しのつかない人生で終わりますか?

 人生のなかで失敗をすることはよくあることです。仮に失敗したとしても、「失敗は成功のもと」ですし、数多くの失敗が人生を豊かにすることもあります。再挑戦、再出発ができると考えれば恐れることはありません。どのような結果が出たとしてもその経験が大切なことです。このように励まし、自分の人生を力強く歩めと教えてくれる人は少なからずいてくださいます。
 ところが、人間に生まれたけれど、人生の再出発、再挑戦することを許してくれないことがあります。「死」です。それも80年90年生きるとはだれも保証してくれません。この世の命を終えるのは、明日、いや今日の夕方、いやいや次の瞬間・・・などと考えているうちは、この世の命を他人事してみているということではないでしょうか。死はそんな悠長なものではありません。たった今、この場で、この世の命を終えてゆかねばなりません。

 私たちは日常生活のなかで、常に過去があり、現在があり、そして未来があると考えています。でも過去は過ぎ去ったことですから、すべてのことが思い出でしかありません。未来はまだ来ていないのですから、予め描いたような状態となるなどという保証はどこにもありません。ということは、私が生きているのは常に現在(=今)でしかありません。そこには成功も失敗もありません。あとで、そのことが成功であったのか失敗であったのかを知るのみです。
 ところが、「死」というのは、私の人生の時間を断ち切ってしまうできごとです。それは私の人生の未来も無にしてしまうということです。これまで蓄えてきた知識や技術、さらには数々の経験も消え去ってしまいます。もちろん文字や形にして残しておくことはできますが、それを第三者が評価してくれるということはまれなことではないでしょうか。まかり間違うと偏見をもたれたり、誤解されることもあるかもしれません。悔いることができたとしても、どうすることもできません。しかしそれは世ほどの才能のある人の話であり、たいていはそのうちに忘れ去られてしまうほかはありません。

 この世に生きていたということさえも忘れ去られるかもしれません。せっかく人間に生まれてきたのに、何をするために生まれてきたのでしょうか。やり直しはできないし、取り返しがつかない人生だとすれば、こんなにさみしいことはありません。
 そんな取り返しがつかないような人生にはさせないと誓ってくださったのが阿弥陀さまです。その阿弥陀さまの誓いを願いを、そしてはたらきを知っていますか。出遇うことはできましたか。断末魔に「しまった!」と思うようなことはありませんか?格好をつけて「はい」と言ってみても、よくわからないから黙りを決め込んでみても、それは解決にはなりません。

|

« 僧侶・布教使がするべきことは(下) | トップページ | 智眼くらしとかなしむな »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/5065/57789877

この記事へのトラックバック一覧です: 取り返しのつかない人生で終わりますか?:

« 僧侶・布教使がするべきことは(下) | トップページ | 智眼くらしとかなしむな »