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2013年8月31日 (土)

かなり軽めのたとえ話

 私が憧れている女性がいます。どうしてその女性に憧れているのか、たいした根拠も無いのにその想いは日々募ってゆきます。できることなら結婚してほしいとさえ思うようになってきました。そこである日、「とっても好きです。おつきあいしていただけませんか」と告げました。ところが冷たく、その気は全くない旨の返事が返ってきました。でもへこたれません。きっといいことがある、必ず幸せになる・・・と思い込むのです。
 ある日、大して気にもしていなかった女性が目の前に現れ、「私はあなたのことをズーッと昔からお慕い申し上げておりました。いつもあなたのことを想っています。これからあなたの側に置いてくださいませ」と告げられました。まったく気にもしていなかった相手でしたので、何も心は動きません。それより、冷たくされてもまだあこがれの女性に未練があります。でも振られてどうすることもできず、泣く泣くその女性のことを忘れようするのです。でも大丈夫。時間が来れば、新しいあこがれの女性が現れます。それも一人だけではなく、次々に気になる女性が現れるのです。

 それでもなかなか思うようにはいかないので、私が憧れる女性はいつも高嶺の花でしかないのか・・・、なんて思うのです。そんななか、あるあこがれの女性とのおつきあいが始まります。一時はとっても幸せを感じるのですが、そのうちイヤになってきます。自分の思い通りにならないからです。
 そんなとき、心が動くことの無かった女性が、また現れるのです。「何をなさろうと、私はズーッとあなたのことを見守らせてもらうだけです。次々と悲しいことも苦しいことがあるようですが、私はどこまでもあなたといっしょに泣き、苦しむことしかできません。私はいつまでもあなたを待ちます」と言うのです。
 私は聞きました。私のことをズーッと待ち続けてくれたというけれど、いったいいつから待っていてくれてのか、と。その女性はおだやかに、「十劫の昔から待っていました」というのです。そんなこと言われても私にはわかりません。でも、どうやら私の思ってきたこと、してきたことを全部知っているようです。そしてまた、いま私が思っていること、していることも知っているようです。ちょっと格好悪いなぁ・・・と思います。

 さらに彼女は言います。「いつまでも待ちます。あなたがどのような女性に憧れようと、また悩み苦しもうと、私はあなたとともにいます。安心してくださって結構です。私はあなたが悩み苦しむことのないような居場所を準備していますから。いつでも、どこでもいいですから、私の名前を呼んでくだされば、お力になります」と。

 あなたはどちらの女性に心が動きますか?
 (女性が読まれる場合は、彼女→彼、女性→男性と読み替えてください。)

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2013年8月 4日 (日)

仏の子どものつどい法話「ありがとう」

 奈良教区宇陀北組の「仏の子どものつどい」で、10分の法話を担当しました。今年のテーマは「ありがとう」ですので、そのことを意識して作った法話原稿をアップしておきます。

仏の子どものつどい法話「ありがとう」

 みなさん、「ありがとう」という言葉を知っていますよね。どんな時に使いますか?
 普通は、誰かに親切にしてもらった時、何かをもらった時、何かがうまくいった時、自分の為になった時、・・・など感謝の気持ちで使いますよね。

 逆に、だれかに「ありがとう」という言葉をかけてもらったことがありますか? この言葉を聞くとどんな気持になりますか?
 お父さんやお母さんに、「ちょっとお手伝いして」と言われて、嫌やなぁ~と思いながらお手伝いをしたあとに、「ありがとう」という言葉をかけてもらうととってもうれしくなりますね。お手伝いをしてよかったと思いますね。もしかすると、もっとお手伝いしたい・・・という気持になることもあります。不思議ですよね。
 これと同じように、みなさんが家族や友だちなどの周りの人に対して「ありがとう」という、とっても簡単なこの言葉を言うだけで、その言葉を聞いた人は、気持ちがよくなったり、うれしくなったりしますね。
 「ありがとう」という言葉は、言う人も、それを聞く人もとっても、うれしくなり、やさしい心になるのです。

 それじゃ、「ありがとう」の反対の言葉は何でしょう。
 「あたりまえ」です。「あたりまえ」だと思っているときは、絶対に「ありがとう」という言葉は口からは出てきません。
 イライラしているとき、自分の思い通りにならないとき、何か失敗して怒られたとき、・・・なんかは、私の心の中は「あたりまえ」という気持でいっぱいなんです。たとえば、自分の欲しいものがあるのになかなか買ってもらえないとき、イライラしますよね。そのときの私の心は、「買ってくれるのがあたりまえやんか」と思う心があるからイライラするのです。友だちからイヤなことを言われたら、めちゃむかつくわ・・・って思ったことないですか?そんな気持も、もうちょっと言い方があるやろ、気をつかうのが「あたりまえやろ」と思っているのです。

 みなさんが嫌な気持ち、腹が立って仕方ないときでも、お母さんもお父さんもみなさんのこと大好きなんです。けんかしても、イヤなこと言っても、みなさんのことを応援してくれているのです。お父さんやお母さんが育ててくれるのは「あたりまえ」だと思っていても、お父さんやお母さんは生まれてくれて「ありがとう」と思ってくれています。
 お父さんやお母さんに何もしてもらっていないときもあります。学校で勉強しているときや、友だちと遊んでいるときなどは何もしてもらっていないですよね。そんなときでも、「今頃、どうしてるやろ・・・」「楽しんでるやろか・・・」、小さい子だったら「泣いてないやろか」って心配してくださっています。そう思ってくれている、お父さんやお母さんには「ありがとう」ですよね。

 でも、お父さん・お母さんより、もっとみなさんのことを心配し、いつも見守ってくださっている方がおられます。それが仏さまです。いいことをしても、悪いことをしても、泣いていても、怒っていても、元気なときも、病気をしていてもどんな私も見ていてくださっているのが仏さまです。私は気づかなくても、いつも側にいて、私のことを気づかってくださっているのが、阿弥陀さまという仏さまです。
 それなら阿弥陀さまにも「ありがとう」ですよね。阿弥陀さまへの「ありがとう」は「なむあみだぶつ」という言葉です。阿弥陀さまはいつも「なもあみだぶつ」を待っておられるのです。

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2013年8月 3日 (土)

子どもたちといっしょに南無阿弥陀仏

 先日、奈良教区宇陀北組(奈良県の北東部)の「仏の子どものつどい」が開催されました。今年のテーマは「ありがとう」。
 この宇陀北組という地域は、過疎地域で、子どもの数がとても少ないのです。それでもこのつどいが開催できるのは、仕事や結婚等によりこの地域から離れて生活している浄土真宗本願寺派の門信徒の子どもたちが参加してくれるのです。そんな子どもたちは、ふだんは浄土真宗のご縁に遇うことはほとんどありません。それでも、祖父母や、子供の時にお寺で楽しい時間を過ごした経験のあるお父さんやお母さんに勧められて参加してくれるのです。
 それともうひとつ、参加者の年齢幅が幼稚園児から小学校6年生までと幅広いということです。これは全国的な傾向かもしれません。かつては小学校就学前の子どものほとんどはありませんでした。いまでは幼くても保育所や幼稚園で訓練されているんでしょう。先輩達に混じって参加してくれます。小学校高学年になると塾や習い事などでなかなか忙しいようで参加する子どもは少なくなってしまいます。それでも、毎年参加し、この「仏の子どものつどい」を予定に入れてくれている子どもたちもいます。それでも高学年の人数が少ないので、全体を引っ張っていってくれる人が少ない。それだけに大人の指導者の連携が重要になってきます。
 組内の住職・坊守が中心となり、何度も準備、打合せの会をもちました。当日は、組内の仏教婦人会の役員の方や、会所寺院の門徒の方々の協力を得ました。今年の参加者は、子どもだけで36名でした。

 与えられた条件の中で、工夫しながらの仏の子どものつどいです。子どもたちの表情や言葉から、楽しい一日を過ごしてくれたと思います。
 日曜学校や子ども会などの活動でお寺の本堂にご縁があるこの地域の子どもたちにとっては、そんなに目新しいことではないかもしれません。ふだんお寺との関係が希薄で、本堂にも上がったことのない子どもにとっては、お寺で手を合わせ、仏参をし、法話を聞くという経験はとても新鮮であったと思います。いろんな問題を指摘される現代の子どもたちですが、この仏の子どものつどいに参加してくれた子どもたちは、キラキラした目と、自由奔放に動き回る姿は30年40年前と何ら変わることはありません。子どもたちとともに、みんなでお念仏しました。
 どんな時代、どんな社会、どんな状況のなかに生きても、阿弥陀さまの変わらない願いのなかで、元気に生活してくれることを望むばかりです。いつか、この子どもたちと仏法讃談できる機会があることを夢見てしまいます。

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