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2013年8月 4日 (日)

仏の子どものつどい法話「ありがとう」

 奈良教区宇陀北組の「仏の子どものつどい」で、10分の法話を担当しました。今年のテーマは「ありがとう」ですので、そのことを意識して作った法話原稿をアップしておきます。

仏の子どものつどい法話「ありがとう」

 みなさん、「ありがとう」という言葉を知っていますよね。どんな時に使いますか?
 普通は、誰かに親切にしてもらった時、何かをもらった時、何かがうまくいった時、自分の為になった時、・・・など感謝の気持ちで使いますよね。

 逆に、だれかに「ありがとう」という言葉をかけてもらったことがありますか? この言葉を聞くとどんな気持になりますか?
 お父さんやお母さんに、「ちょっとお手伝いして」と言われて、嫌やなぁ~と思いながらお手伝いをしたあとに、「ありがとう」という言葉をかけてもらうととってもうれしくなりますね。お手伝いをしてよかったと思いますね。もしかすると、もっとお手伝いしたい・・・という気持になることもあります。不思議ですよね。
 これと同じように、みなさんが家族や友だちなどの周りの人に対して「ありがとう」という、とっても簡単なこの言葉を言うだけで、その言葉を聞いた人は、気持ちがよくなったり、うれしくなったりしますね。
 「ありがとう」という言葉は、言う人も、それを聞く人もとっても、うれしくなり、やさしい心になるのです。

 それじゃ、「ありがとう」の反対の言葉は何でしょう。
 「あたりまえ」です。「あたりまえ」だと思っているときは、絶対に「ありがとう」という言葉は口からは出てきません。
 イライラしているとき、自分の思い通りにならないとき、何か失敗して怒られたとき、・・・なんかは、私の心の中は「あたりまえ」という気持でいっぱいなんです。たとえば、自分の欲しいものがあるのになかなか買ってもらえないとき、イライラしますよね。そのときの私の心は、「買ってくれるのがあたりまえやんか」と思う心があるからイライラするのです。友だちからイヤなことを言われたら、めちゃむかつくわ・・・って思ったことないですか?そんな気持も、もうちょっと言い方があるやろ、気をつかうのが「あたりまえやろ」と思っているのです。

 みなさんが嫌な気持ち、腹が立って仕方ないときでも、お母さんもお父さんもみなさんのこと大好きなんです。けんかしても、イヤなこと言っても、みなさんのことを応援してくれているのです。お父さんやお母さんが育ててくれるのは「あたりまえ」だと思っていても、お父さんやお母さんは生まれてくれて「ありがとう」と思ってくれています。
 お父さんやお母さんに何もしてもらっていないときもあります。学校で勉強しているときや、友だちと遊んでいるときなどは何もしてもらっていないですよね。そんなときでも、「今頃、どうしてるやろ・・・」「楽しんでるやろか・・・」、小さい子だったら「泣いてないやろか」って心配してくださっています。そう思ってくれている、お父さんやお母さんには「ありがとう」ですよね。

 でも、お父さん・お母さんより、もっとみなさんのことを心配し、いつも見守ってくださっている方がおられます。それが仏さまです。いいことをしても、悪いことをしても、泣いていても、怒っていても、元気なときも、病気をしていてもどんな私も見ていてくださっているのが仏さまです。私は気づかなくても、いつも側にいて、私のことを気づかってくださっているのが、阿弥陀さまという仏さまです。
 それなら阿弥陀さまにも「ありがとう」ですよね。阿弥陀さまへの「ありがとう」は「なむあみだぶつ」という言葉です。阿弥陀さまはいつも「なもあみだぶつ」を待っておられるのです。

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