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2013年10月20日 (日)

『私のものさし 仏のこころ』

 『私のものさし 仏のこころ』探究社 A5判127頁 ¥1200+税

 前著『われも六字のうちにこそ住め』(樹心社)に引き続き、ブログ「畢竟依を帰命せよ」からの一部をまとめたものです。1000字超の読み切りの文章が48あります。それぞれのタイトルをみて、どこからでも読んでいただくことができます。

 この本は、前著の原稿整理、編集をするなかで、第1章および第2章として予定していました。しかし樹心社より、原稿の量が多すぎるので、出版するのは第3~第5章の部分にしたいという意向が示され、同意しました。
 つまり前著の前半部分をなすのが本書です。もちろん、そんなことを知らずとも、違和感なく読んでいただけると思います。

 以前にもどこかに書いたように思うのですが、浄土真宗の法話に限りませんが、どの布教使(師)さんも、聞法プロセスについての話はあまり触れられません。
 仏法は、出遇いの縁がありますが、それから後、まことにうなづくことができるまでがとてもたいへんです。人それぞれですから、そんなことは何も問題にならなかった、なってはいない・・・という人もおられるでしょう。しかし、私の場合は、聞いてもわからない、わかっても腹の底から納得できるものではない、疑っているわけではないけれど心の底では「でもね・・・」と言いたくなる(これこそバリバリの疑心です)、等々、心の晴れない聞法経歴が何年も続いています。
 仏法を聞くための正統な聞法プロセスなんてありません。人それぞれに違うのです。正しい聞法プロセスが語れるはずはないから、あまり話されることはないのでしょう。また、仮に誰かの聞法プロセスを示したところで、そうなれるかというとそうなれない。そうなれないことは信心には至り着くことができないのだ・・・という誤解さえ生みかねません。聞法プロセスを語るということは、そういう弊害もあるのです。

 しかし、聞法プロセスを語ることは弊害ばかりではないとも思っています。聞法は最初のうちは、自分の思いのところで聞いていても、それが何も役に立たないことを知らされるのは、具体的な聞法プロセスに依るところが大いにあります。もっとも、それは多くの同行たちと本音の信心談義をしておれば、自ずとわかることですが、なかなかその「本音の信心談義」ができなくなっているのではないでしょうか。

 特に本書の後半部分は、法を「聞く」ことについての文章をまとめてあります。仏法を聞くということは、日常生活の会話を聞くのと聞き方が違います。また落語や講義を聞くことも違います。そこのところの私の思いを記してあります。ここのところは、読まれたあとの感想なり思いを聞かせていただきたいものです。

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発刊おめでとう! 読ませて頂きます。

投稿: じいぼう | 2013年10月23日 (水) 07時29分

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