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2015年12月 8日 (火)

独生独死独去独来

 人間社会というのは、人が互いに関係をもち、支え合いながら生きていくことによって成り立っています。古来、人と人は、良きにつけ悪しきにつけ対面関係のなかで人間社会を築いてきました。
 それがここに来て、急速に壊れています。地域社会は言うに及ばず、家族関係や同じ目標をもって活動する集団や団体さえも、人間関係は疎遠になっていきつつあります。みんなで協力してやってたことが、お金を出して専門業者に頼めば楽だし、きれいにできる。人が直接関わりあうのはわずらわしく、めんどう。対面関係の中で作り上げてきたものも、直接会わなくてもできてしまうのです。物流システムの高度化、コミュニケーション手段も電話やメールでほぼ済ませられる。手を抜いてもそれをカバーしてくれるものが次々にあらわれてくる時代になっている。
 間違ってはならないのは、他の人との関わりが無くなってしまった・・・のではないということ。むしろより複雑に、より高度な関わりがあるのに、すべて直接性を失っているに過ぎない。だから、「誰の世話にもならない。みんな自分でできる」と思ってる。コンビニさえあれば・・・とか、電話一本で何でもできる、などと思ってしまう。
 東北震災後、「きずな」や「よりそう」と盛んに言われました。東北の場合は、震災のために、津波のために、原発事故のために、人々が離散されたからそう言われたのでしょう。しかしいつの間にか、私たちの生き方、ありようを示唆する言葉になっています。人間生活を営んでおれば、そんな言葉を使わなくてもつながっていたものを。
 実際、老い、病み、死んで行くところでは、直接の人間関係を意識するのですが、そこにはこれまであった人間関係が失われてしまっていることに、多くの人が気づき始めているのではないでしょうか。
 お釈迦様は、いまから2500年前に、すでに私の姿を「独生独死独去独来」と示してくださっているのです。仏法を聞く者は、それを耳にタコができるほど聞いてきたはずです。強い、深い人とのつながりのなかでも、つねにわが身が「独り」であることを聞いてきたのです。それだけに、人とのつながりがかけがえのないものであることを知り、人との関係をとても大切にし、人との出遇いを深く味わったのでした。
 いま、孤独を感じている人は、この「独生独死独去独来」を部分的、断片的に、簡易的に感じているのではないでしょうか。お釈迦様の真意は、もっともっと深いところにあります。まことを通したお言葉を聞くことは、いまからでも決して遅くはありません。

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